2012年6月 カンボジア アンコールワットへの旅(その4)

5日目「シェムリアップ〜プノンペン ロシアンマーケット、トゥールスレン博物館」(泊)

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朝、ホテル前の道路にて。
お金下ろしにATMまで散歩。(^^;)

今日はシェムリアップからプノンペンへ戻ります。

アンコール遺跡もまだ見ていないところが沢山ありますし、シェムリアップの街も穏やかで良い街ですので、本当は1週間くらいはのんびり過ごしたいところなのですが。
今回の旅行は慌ただしいです。

ブッフェでゆっくり朝食を摂って、9時半にドライバーが迎えに来ました。
帰路は飛行機ですので、余裕です。

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シェムリアップのドメスティックターミナル。

3日間お供してくれたドライバーに約束の80ドルを渡してサヨナラします。
調子に乗って「チップは?」とか言うので、「いやいや、80ドルって普通よりかなり多いでしょ?」って言ったら苦笑いしてました。

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こちらはインターナショナル。
綺麗な空港ですね。

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プロペラ機は久しぶりです。
40分程の飛行ですが、カップケーキのオヤツが出ましたよ。

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プノンペン到着。
エクスペディア塗装の機体って初めて見た。

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乗ってきた機体。ロータスF1カラー?

バゲッジを受け取り、ゲートを出ると遠くで手を振るヤツが。
トゥクトゥクドライバーのシンさんです。

握手して乗り込みます。

まだ13時です。
さっそく「何処行く?」と聞くので、「何か面白いところある?」と尋ねると…

「ライフルを撃たないか?」と。

う〜ん。ライフルかぁ。
正直あんまり趣味では無いのです。今まであちこちの海外で誘われたりも良くあったのですが、実際に撃ったのは昔〜しにハワイでピストル打ったくらい。

ちなみに、よく行くタイにもありますよね。
軍直営のヤツが。
あれも行ったこと無いんですよ。

でもまあ、特に予定無いし、きっとそういう所はシンさんにもバックマージンとか入るんだろうし、ちょっと行ってみてもいいかなぁなんて思ってしまいました。(^^;)

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行ってビックリ。ここカンボジアのガンシューティングも、軍のお小遣い稼ぎでした。
空港から近くの、軍の施設の横にあります。
入り口には軍人さんの門番。

でもって、置いてあるモノが凄い。
AK-47、M-16、ウージー、K-50、CZ-75、トカレフ、K-57、手榴弾にロケット弾まであります。
怖えぇぇ〜。

銃器には詳しく無いし、軍事オタクでも無いのですが、明らかに東側のものばかりですよね?

こんなモン撃って大丈夫なんだろうか?と言う不安顔のアタクシ。
ジャパニーズに人気なのはAK-47だぜ。って勧める店員(っていうのかな?)。

判りましたよ。覚悟決めましたよ。撃ちますよ。そのAKってヤツ。

店員:「お前だけに、プラス20でK-57撃たせてあげるよ。マシンガンだぜ!すげーぜ!」

あたくし:「いいよ。そんなの…。へにょへにょ…。」

店員:「スゲーんだから撃てよ。ジャパンじゃ撃てねえだろ〜ぅ。ワイルドだぜぇぇ。」

あたくし:「じゃ、じゃあそれも… 」

なんか店員に拳銃突きつけられてオッケーって言わされた感満載で、射撃室へ。

標的にココナッツを1個1ドルで買えと。
何個いる?って言うから、3っちゅでって言ったら。

はぁ?って顔して、もっといるだろ?と。

いや、オレたぶん当たんないから3っちゅでいいから…。

店員、(・∀・)ニヤニヤ。

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もうね。なんかかっこ悪いからモザイクかけちゃいますよ。
これがAK-47ですよ。

しっかし当たらねー。
横で店員が着弾点見ながら、もっと下とか言ってくれるだけど当たらね〜。

25発撃って、ココナッツ1個だけ掠りました。

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これ、k-57。マシンガン。
これはマジでやばい。

連射した時は、薬師丸ひろ子の気持ちがちょっと判った。カイカン…。
ココナッツは簡単に全部吹っ飛びました。

ちなみに、この写真撮ってくれてる時は安全装置かかってます。撃つ時は店員後ろへ逃げます。w

しっかし、何やってんだかなぁ。オレ。_| ̄|○

ホテルへ荷物を置きに行きましょう。

しかし、慣れない事をやったせいでしょうか?体が熱っぽいです。
物凄く喉が乾く。

シンさんに言って、路肩のお店でコーラを買います。
一気飲みしてもまだ喉が乾く。

そう言えば、空港でトイレ行った時、緩かったなぁ…

やっちまったかなぁ。まさかなぁ。

とりあえずホテルにチェックインして、シンさんに1時間後に迎えに来てってお願いします。

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急いでトイレへ。
完全にぴーです。
シャワー浴びたけど、完全に熱もあります。

やっちまったなぁ。
昨日の夜食べたものを振り返ります。

あ〜。果物…。
前日に買って半分食べた果物を、レジ袋に入れた状態で冷蔵庫に保存してました。

昨晩それを洗わずに食べた!
ライチとかランブータンとか、マンゴスチンとか、冷えて湿気てるのを洗わずに手で剥いてそのまま口に入れる形で何個も。たぶんアレだなぁ。

食あたりは、10年以上前にタイで一度やったっきり。
以降東南アジアでは、けっこう危険な感じのも食べましたが、何食べても大丈夫だったので完全に油断してしまいました。

でもまあ、歩けない感じでは無いし、今日残り半日ほど過ごせば、後は帰るだけですので、今日は動かないともったいないです。

薬を飲んで、気合入れて1時間後にシンさんのトゥクトゥクへ。
お腹に気合入れるとウ◯コ漏れそうなので、ソーっと乗車します。

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次は何処行こうか〜?と相談して、ロシアンマーケットへGOです。

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ロシアンマーケットは、こんな感じのおみやげ屋さんや。

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地元の食材の市場が並びます。

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このテナガエビ、伊勢海老くらいの大きさがありました。
(買って無いですよ。お腹こわしてるから(ヾノ・∀・`)ムリムリ)

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バイクの部品屋サン。

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この魚はめっちゃ活きが良かったっす。
見たこと無い魚ですよね。

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ドリアンもシーズンなので、あちこちで売ってましたね。
自分はあんまり好きじゃ無いので…

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ココナッツジュース売りの少年。
ココナッツジュースも生ぬるいと美味しく無いよね。
冷えたのってめったに無いし。

30分ほどウロウロして、トゥクトゥクへ戻ります。

次はどうしようかと言うと、「トゥールスレン博物館」はどうか?と言います。

そこはネットで見て知っていたんです。
でもどうしようかとかなり迷って、止めようと思っていた場所。

ポルポトが市民に対して行った大虐殺を忘れない為に、記録として残してある場所です。

ここからしばらく、心に刺さる写真が出てきます。

そういういい方はしてはいけないのですが、ある意味、グロいのもあります。

そういうのがダメな方は以降は読まないで下さい。

でも、正直言うと出来れば皆さんに見ていただきたいです。
ここで自分が感じた感覚は、今までにないもので、出来れば沢山の人にそれを知って欲しいから。

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S21収容所。
1976年、ポルポト率いるクメール・ルージュはこの高校を強制収容所にしました。収容された者は生きて帰れない収容所です。

S21は、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。
稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無い。現在は地名を取ってトゥール・スレンと呼ばれており、国立のトゥール・スレン虐殺博物館となっている。
2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人(現在身元が分かっているのは7人)のみであった(これまでは7人とされていたが、2007年、別の刑務所に移送されたため生き残った女性1人が名乗り出た)。
wikiより

 

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独房。
革命に学問は不要と言う方針から、知識人を中心とした何の罪も無い一般市民がここで拷問を受け、看守達が欲している答え(「わたしはアメリカ帝国主義の手先でした」「わたしはベトナムのスパイでした」)を言い、その対価として拷問の責め苦からの解放(=処刑)を得ました。

その部屋がそのまま保存されています。
天井を見上げると、まだ血の後らしいものも飛び散ったままでした。

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この施設全体。そしてこの部屋に入った時の感覚。
何も無いのに涙が自然に出てくる。

笑ったり談笑してはいけないという注意看板があるのですが、とてもそんな気分にはなれません。
皆静かに、粛々と通路を巡り、涙を流しながら見学している人も沢山居ます。

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・質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
・何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
・革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
・質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
・自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
・電流を受けている間は一切叫ばないこと。
・何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
・自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
・これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電流を与える。
・これらの規則を破った場合には10回の電流か5回の電気ショックを与える。

看守は子供だったそうです。
収容者は手かせ、足かせなので、それで十分だったのでしょう。
そして、その子供たちも後に皆殺されたそうです。

この看板の向う側はプールの跡。
そのプールにも沢山の子供の遺体が投げ込まれていたと言います。

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犠牲者の写真が沢山展示されています。
子供、大人、年寄り。なぜこの人達が殺されなくてはいけなかったのでしょうか?

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同じ人間が、同じ民族が、なぜこんな酷い事が出来るんだろう?

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掘り出された遺骨。
当初はこの場所に埋められていたらしいが、あまりにも数が増えた為に、処刑場がキリング・フィールドに移された。キリング・フィールドにも同じような博物館があり、9000体近い遺骨が保存されています。

1979年にベトナム軍によってプノンペンが開放されるまで、この施設の存在はまったく知られていませんでした。発見後すぐに、今とほぼ同じ形で博物館として公開されたそうです。

カンボジアはポルポトが支配する約3年の間に人口1000万のうち200〜300万人の命を失います。ここやキリングフィールドのように直接殺害された人や、地方への強制移住で食べ物が与えられずに餓死した人達です。

なぜポルポトはこのような虐殺をしたのでしょうか?

諸説あるようですが、

・ポルポト政権自体がベトナム、中国、アメリカ等の複雑な外国勢力が争う中で中国からの後押しを受けて勢力を持っただけであり、国民に選ばれたものでは無かった事。
・故に国民を信用していなかったこと。
・「原紙共産主義」による立国を夢見た為に、科学技術は不要、よってそれらを学んだり広めたりする者は不要という思考に至った事。

などが理由とされています。

他には、当時の毛沢東がカンボジアから知識階層を排除して、自国民の血が入った指導者を入れ国家を乗っ取ろうとしていたなどという説もあります。

本当のところは判りません。
しかし、これだけの人達が罪もなく、自国の為に戦った訳でも無く、ただ無残に殺された事は事実です。

戦争は悲惨です。

もしカンボジアを訪れる事があったら、ここやキリング・フィールドをぜひ訪れて見て下さい。
最初は見るのを止めようと思っていたのですが、結果として見て良かったと思っています。

戦争の恐ろしさを心の底から感じられる場所です。

その直前にマシンガンを撃って「カイカン」とか言ってたヤツの言う事は信用できないかもしれないけど…。

1時間半くらい居たでしょうか。
また熱が出てきてしまいました。

シンさんに、リバーサイドに寄ってからホテルに帰りたいと伝えます。

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独立記念塔は改修中でした。(ピントが…^^;)

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王宮です。
翌々日がモニク前王妃の誕生日の祝日のようで、お祝いの飾りが綺麗でしたね。

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お参りする人達。

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反対側は川っぺり。
メコン川とトンレサップ川の合流点。

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土曜日ですので、沢山の市民が川沿いを散策していました。

さすがにこのへんで限界です。

ホテルまで戻ってもらい、シンさんとはそこでグッバイです。
幾ら?と聞くと12ドルと言います。ホントにこの人は良いドライバーです。

ちなみに、彼はポルポトの時に10歳だったと言っていました。
自分より3〜4歳下ですね。見た目は10歳くらい上に見えますけど。
(写真撮れば良かったなぁ。失敗)
10歳の頃は地方に居たので、ポルポトはリアルには知らない。
でも貧しくて食べるにも大変だったと言っていました。
今、この仕事が出来て幸せだとも。

8ドルチップで20ドルお支払いしました。
もしまたプノンペンに来る事があったら電話するからね。(^_^)/~

まだ18時前ですが、もう一度シャワーを浴びて、ベッドに横になります。
さっきのトゥールスレンの事とかが頭をぐるぐると回ります。

ウトウトとして、ふと目が覚めたら19時過ぎ。
何か食べなくてはイカンなぁと思い、無理やり服を来てホテルの斜め前にあったレストランへ。

クメール料理のお店だったんだけど、スープとか軽そうなものを注文しても一口二口しか食べられず。
テイクアウトを頼んで、容器に入れてもらってホテルに戻りました。

翌朝は飛行機が早いので、とにかくもう寝てしまおうと。

うつらうつら、ウ◯コ漏らした夢見て目を覚ましたり。(失礼^^;)

ほんとに明日帰れるのか、オレ…

 

 


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